大分県九重町 鷲頭栄治さん、洋子さん


■地域の概況


 九重町は大分県の西部、九州の屋根といわれる九重連山の北側に位置し、東は湯布院、北西は玖珠町、南西は熊本県小国町と接し、高原と温泉の町として知られています。鷲頭家がある飯田地域は九重町の南東部、標高900m、飯田高原と九酔渓という紅葉の景勝地と、高さ・長さが日本一で多くの観光客で賑わう「九重“夢”大吊橋」のすぐそばです。気候は標高約300mの九重町中心部より厳しく内陸性の高原特有の気候で、夏の最高気温は30℃にもなりますが、冬季の寒さはとても厳しく最低気温は-10℃にもなり、初霜は10月中旬、遅霜も4月下旬までと降霜期間が長く、1〜2月に雪が多く年によっては一週間以上の積雪が続くことがあります.高原特有の厳しい気象条件の地域ですが、緑豊かな自然にはぐくまれ「阿蘇くじゅう国立公園」に指定されている景勝豊かな地域です。

九重町の総人口は11,108人、世帯数3,638戸で、農家戸数1,518戸、うち専業農家は303戸です。九重町の肉用牛飼養農家は252戸、肉用牛飼養頭数は4,350頭で一戸あたりは17.2頭となっています。耕地は主に玖珠川沿いの流域と山麓部の標高350〜1,050mの間に段階的に散在しておりますが、町の大部分は山林、原野に覆われています。飼料基盤としては改良牧草地や野草地が多くあり、大分県でも有数の肉用牛地域です。


■経営の推移


年次  飼養頭数 作目構成 経営および活動の推移

S45
S50
S54
S55
S56
H1
H2
H3
H6

H9
H11


H13
H14
H15
H18
H20

6頭
15頭

20頭

20頭
35頭
40頭


50頭
61頭



81頭
81頭
97頭
103頭
畜産・水稲・野菜









畜産・水稲・花卉





畜産・水稲・花卉・レストラン

農業に従事。
結婚
牧草との輪作でキャベツ、大根作付開始
タイトベーラー体系を導入
畜産婦人部増頭補助により畜舎増築
父親より経営移譲を受ける
30頭規模の畜舎を建設
自由化を契機に多頭化を決意
ロールベール体系に転換
逐次増頭を図る
花卉(ユリ)部門導入
長男、大学卒業と同時に就農
15頭規模のハウス畜舎を新築
堆肥舎の建設
肥育(若齢)を開始する。
豚舎を改造した40頭規模の畜舎を建設
レストラン「べべんこ」オープン
40頭規模の牛舎新築
繁殖管理システム牛歩を導入


■過去5年間の生産活動の推移


  H15 H16 H17 H18 H19
畜産部門労働力員数 3人 3人 3人 3人 3人
飼養頭数 81頭 95頭 98頭 97頭 103頭
子牛出荷頭数 52頭 54頭 62頭 66頭 69頭
肥育牛出荷頭数 3頭 3頭 5頭 9頭 11頭

■労働力の構成


区分 経営主
との続柄
年齢 農業従事日数 部門または作業担当 備考
日数 うち畜産部門
家族 本人 56 300日 300日 畜産・花卉・水稲(畜産は授精後出産前後まで)
 
56 300日 300日 会計(全部門)・肉用牛子牛・花卉とレストランの一部  
84      
レストラン及び自家消費の野菜・しいたけ
84       レストラン及び自家消費の野菜・しいたけ
長男 31 300日 300日 畜産・花卉・水稲・(畜産は育成牛管理と人工授精・妊娠鑑定まで)一部レストラン 家畜人工授精資格
31       繁忙期 レストラン
長女 29       レストラン
次女 27       レストラン

経営・生産活動の内容



 父の代は、馬の「どんだびき」など外に収入を求めていた時代であったが、安定した収入を図るべく、昭和38年に畜産に足を踏み入れた。元年、経営主38歳・20年のキャリアを持って経営(母牛20頭規模)の移譲を受け、その後着実に規模の拡大を図る。当時から経営理念として、農業経営においても『労働配分と危険分散』を図ることを第一に考え、現在家族労働力で4部門の多角経営を実践している。その中において、肉用牛繁殖経営こそ経営すべての基盤と考えている。 その後、経営の危険分散と、消費者に本物の味を届けたいとの思いから、平成9年、東京大学の今村先生の講演を聞く機会を与えられ先生の話に共感をもった。自らの思いと一致したからである。それは、「これからは農業の時代がくる。農業は第1次産業ではだめだ 第6次産業であれ」ということであった。(6次産業とは、1次×2次×3次=6次ということで、これからの農家は、生産から販売まですべて実践していくべきである。)これにより、現在の農家レストラン『べべんこ』にたどり着くこととなる。本経営体は、どのような時代にも耐えうる経営を目指すため4つの部門を持っており、総売上高 88,677千円・所得 26,678千円と県内の畜産経営でもトップクラスの実績を持つ経営体である。<以下に当牧場の各部門の特徴を紹介する。

◆本経営体のすべての基盤となる肉用牛経営
 〔肉用牛部門の高い収益性〕
昭和38年父が始めた肉用牛繁殖経営を38歳で経営移譲され、牛肉の自由化等を経験し規模拡大を決意するなかで、身の丈に合った着実な規模の拡大をおこない、現在母牛105頭と県内でも5本の指に入る規模となっている。
その肉用牛部門の売上高も、38,091千円で、部門所得で、12,623千円となり、母牛1頭当たりの所得は、124千円所得率39.2%と極めてすばらしい実績となっている。
 〔放牧による労働力の削減と低コスト生産〕
当牧場の経営実績を裏付ける特徴として、労働力削減と低コスト生産のための放牧の実施である。放牧地は、45haを利用し年間47頭(平成19年度実績・飼養規模の46.2%を放牧)の放牧を実施している。放牧延べ頭数は、毎年何とか維持しているものの、増頭してきており放牧率は減少傾向にある。これについては、共同牧野である東部牧野の入牧制限があることと、自家保留牛主体の規模拡大に伴い、育成牛についても放牧馴致のため、放牧頭数にカウントしていたために、減少傾向となったものである。生産コストの低減については、放牧のほか、自給飼料生産及びワラの収集を行っており、自給飼料生産延べ面積は、20ha(イタリアン主体のオーチャードの混播16ha、リードカナリー2ha、ライ麦2ha)で、稲ワラの収穫は、14.5ha(堆肥交換8ha・自家生産6.5ha)となっており、粗飼料自給率92.5%と子牛給与の一部を除きほぼ自給できておりコスト低減につながっている。ちなみに、購入飼料費をみても、母牛1頭当たり83.8千円(平成19年度予測値:畜産協会調査平均 79,874円〔平成18年平均〕×1.3倍=103,836円)と安く抑えられている。また、自給飼料関係とは別に生産コストを低減するため、自ら経営に見合った飼養規模の拡大を実施する中で、大きな投資となる畜舎の建設にも、大半を家族労働力でまかない通常の1/2の投資コストで建設しているのも要因の一つである。
 〔基盤となる畜産経営の後継者育成〕
基盤となる肉用牛繁殖経営における後継者として、平成11年に大学を卒業した長男をそのまま就農させ、基礎から勉強させるために、2年目の終わりに家畜人工授精師の免許を取得させている。平成14年からは、3年間をかけて外部の人工授精師から長男へ移行させた。移行2年目の平成15年には、飼養規模の拡大や農家レストラン『べべんこ』を開店させたことから長男も更に多忙となったこともあり、発情の発見の遅れ・見落とし等で分娩間隔が13ヶ月台となっている。これは経営の考え方であり、空胎日数が伸びた損失は外部の人工授精師への支払金額と相殺できると前向きに考えている。現在は、長男が育成牛の管理から妊娠確認までを受け持ち、経営主が分娩前後までと子牛管理・市場出荷を受け持っており、部門別に牛舎を分けて管理している。
 〔安定した1年1産に向けて〕
平成19年、長男に人工授精が完全移行して3年目に、レストランの近くに建設された日本一の大吊り橋の影響で家族全員が極めて多忙な状況となった中で、発情の見落としをなくすために、発情発見システム(牛歩システム)の導入を、県並びに農協に働きかけ平成20年になって農協が事業主体として導入できるようになった。投資コストとしては、700千円が必要であるが「受胎率の向上には変えられない。効果がある。」と判断していた。その結果、昨年同期と比較すると、種付け回数2回〜3回の牛も、導入後には、ほぼ1回となり効果が如実に出てきている。これにより、分娩間隔も短縮され、さらに生産性の向上が図られるものと期待している。
 〔消費者に顔の見える畜産経営〕
平成13年には、消費者に顔の見える畜産経営としてレストラン部門への豊後牛を供給するため肥育部門を設置した。当時より、経産肥育を主として実施していたが、BSE以降、市場の子牛取引価格が極めて安いこともあり、自家保留牛でも若齢肥育を実施していた。その後子牛価格が高くなってからは、更新予定の経産牛を8ヶ月間肥育した後畜産公社で委託と畜し、レストラン部門から消費者に提供していくことで、信頼を得ている。
ちなみに、肥育部門の飼養規模は、常時10頭程度である。

◆消費者に本物の味を届ける農家レストラン『べべんこ』
 〔レストラン部門の概要と収益〕
消費者に本物の味を届ける農家レストラン『べべんこ』は、自らの経営に付加価値をつけ、こだわりを持った農家レストランとして平成15年4月21日にオープンさせた。農家レストラン『べべんこ』は、前述の自家生産された、牛肉、米、野菜、椎茸、デザート用のブルーベリーなどの食材と、地域の湧水を使うなど、「地産地消」として顔の見える農家レストランを展開すると共にホームページも立ち上げ展開している。
レストランの平成19年の売上高は、38,344千円で、所得 10,659千円で、来客数は、34,727人となっており、一人あたりの客単価は、目標の1,000円を超し、1,104円となっている。来客者の6割が県外となっており、広告宣伝を行っているわけではなく、県内外のテレビ局等マスコミの取材が多いため、広く広報ができている。
 〔農家レストラン『べべんこ』への思い〕
経営主が大きく描いていた夢、レストラン部門の開店までには、長い年月と労力を要している。東大の今村先生の話を聞き、一念発起してレストラン部門の設置に動き始めた。このレストランがある土地は、阿蘇くじゅう国立公園の規制がかかる地域となっており、レストランの建設までに何年もの歳月を費やしている。建設にあたっては、共同経営での補助事業の選択もあったが、自らの思いが貫けるレストラン経営を行うために、自己資金の調達に奔走し、農林漁業金融公庫の直貸資金を自らの熱い思いで借り入れることができた。また、38歳より4期12年間勤めた農協の理事を辞職した。これは、レストラン部門が農協の事業と競合するため、農協役員に残るわけにはいかないと本人が判断している。
 〔農家レストランの運営〕
農家レストランの運営も自らが実践したい思いはあるものの、他部門との兼ね合いもあり困難であったため、自分の思いを伝えることのできる子供たちに託すこととなった。当時会社勤務をしていた、長女・次女を説得し、レストラン部門を任せることとなった。次女には、この日のために栄養士の免許を取らせていた。レストラン経営の理念として、消費者からの信頼を確実なものにするとの思いから、本物の味を分かってもらうために、必要に応じて、経営戦略会議(家族ミーティング)を行って、メニューの内容や調理方法・イベントの企画など検討を行っている。ちなみに、屋号である『べべんこ』は、我が家を支えている子牛たちをいつも思い名付け、そのロゴも九重連山とそれにかかる綺麗な雲をイメージし作成したものである。

◆夏場の収入を支えてくれた花卉部門
 〔野菜部門から花卉部門への転換〕
平成9年に、経営の柱として野菜から花卉部門に切り替えることとなる。これは当時野菜が安値安定の方向に向かっており、危機感を持ったことや、野菜は、重量が重く年を取るにつれて重労働になることを考えたためである。花卉部門の選択も、所得向上が図れるオリエンタルユリを導入した。このユリは、球根をオランダより冷凍輸入していたもので、当時は、球根の価格も高く、合わせてリスクも高いため取り組む農家も少ないのが現状であったが、やりがいのある品目だと直感し、花卉部門への転換を図った。
 〔花卉部門からレストランへ〕
肉用牛繁殖経営では夏場半数近くの牛を放牧に出し、そのあいた労働力でユリの生産を行い、ピーク時では、27,000千円の販売額までになっていた。その後、かねてより念願であったレストランを開店させ、その売り上げが伸びていく中で、ユリは、球根の価格が半分まで値下がりし、バブル以降市場価格も安値安定に向かったことと、作付農家も増えてきたために、レストランに力をシフトし花卉部門は、労働力の範囲内として、現在では、4,883千円の売上げ所得 1,575千円(26,000本の定植)で現状維持をしている。

◆畜産と切り離せない水稲部門
 〔米から畜産部門やレストラン部門へ展開〕
米作りは、もともと経営の柱であったが、現在は肉用牛経営が柱となっている。肉用牛とは切っても切り離せない部門であり、現在650aの作付を行っており、稲ワラは、ロールにして畜産部門に供給している。生産されたコシヒカリの特別栽培米は、その2割をレストラン部門に販売し、残りを農協に出荷し売上高7,358千円で、所得1,820千円と安定的に維持してきている。ちなみに、レストランでも特別栽培米の評判は高く、精米した米も販売している。


地域農業や地域社会との協調・融和のために取り組んでいる活動内容


 〔家族みんなで、地域の牽引役〕
経営主は現在、主な役は引退しているものの、平成元年から平成12年までの12年間に亘り地元農協の理事を歴任し、畜産を含めた地域農業の発展に尽力する傍ら農業委員も45歳の時に1期3年間務め、畜産振興会の役員、土地改良区理事(現在2回目で現職)等の役も務め幅広く町の農業振興に大きな貢献をしてきた。ちなみに、38歳で農協の理事を受けたときにも、畜産振興会の立ち上げや青年部を立ち上げ、ヘルパー活動も先頭になって実施してきた。現在は、奥さんも農協女性部の部長、大分県男女共同参画審議会委員や畜産女性ネット組織『“ゆめ ネット おおいた”』に参加する他、長男も玖珠郡農村青年連絡協議会の会長歴任し、また、地域の繁殖経営の後継者と後継者グループ「カフライフ」を立ち上げ初代会長として活躍し、現在は県全域の畜産男性ネットワーク「大分畜産Net“鼓動”」の役員としても活動し、その推進役として活躍している。
〔放牧による地域環境への貢献〕
所属する「東部牧野組合」の50ヘクタールの野草放牧地に放牧制限を受けながら約10頭程度の牛を5月上旬から11月の間放牧し経費の節減を図りながら、牧野の維持管理に努めている。また別に近隣の未利用放牧地40fを放牧で利用し環境保全の面からも地域への貢献は大きなものがある。
〔農泊体験による担い手育成〕
消費者との交流を目的に「九重町グリーンツーリズム研究会」を平成15年に立ち上げ交流活動を開始した。農泊のできる施設として許可も取得している。(1泊2食6,500円で提供している。)また、担い手育成の場として平成17年から小・中学生の職場体験、農業高校、大学校や大学生等の受け入れを始め、最近では毎年、大分大学教育学部の教育課程の学生の研修を受け入たり、県立農業大学校の学生を1ヶ月間の受け入れ研修も実施し、年間50〜60名の民泊研修生を受け入れ、当牧場で研修を経験した生徒は総勢500名程度と担い手育成に大きな役割を果たしている。また、長男は農業高校の臨時講師としても教壇に立ち学校現場でも担い手育成の一翼を担っている。
〔レストランをとおして消費者や地域とのふれあい〕
・安全・安心な畜産物の提供と消費者と直接触れ合い、情報交換が出来る場の確保を目的に、平成15年に農家レストラン「べべんこ」をオープンした。経営は通常は長女、次女が行っているが、繁忙時は家族総出で賄いを加勢する等全てを家族で行う農家レストランとして定着し経営も安定してきた。また、毎年、感謝祭としてライブ講演、豊後牛のバーベキュー、バター作り体験、農機の展示、ユリの球根の鉢植え体験他様々なイベントを用意しお客さんとの交流を図るなど、農家自らが手作りで情報発信する場として積極的に活動し、地域とのかかわりをもっている。


今後の目指す方向性と課題


将来の目指す方向として、『労働配分・危険分散』の基本的な経営理念に変わりはないが、これからも消費者に顔の見える本物の味を提供し、信頼を不動のものとして確立し、私が経営移譲された年齢を目標に後継者に経営をバトンタッチする事を今後の目標としたい。

〔所得向上のための肉用牛部門の拡大〕
経営全体の基盤となる肉用牛部門の拡大を考えている。これは、今後の食料自給を考える中で、子牛市場での安値安定が予測されるため、肉用牛繁殖経営での所得確保のために規模を現在の1.5倍の150頭規模まで拡大し、同時に労働力の確保とコスト低減のために放牧のできる体制も確保する。(借入地確保も可能)また、レストランへの豊後牛の供給部門として肥育部門もスキルアップするために、市場価格を見極め自らの経営を考える中で、一貫経営も視野に入れて検討している。精肉の販売許可も持っており、経営全体を見極めながら精肉の販売も検討していくこととしている。
〔消費者からの信頼を不動のものに〕
レストラン部門を核として、消費者との更なる交流の場として考えており、グリーンツーリズム研究会とも連携を更に深め農泊体験に力を入れながら、担い手の育成や消費者との距離を益々近づける活動を深めていくことで、消費者の目をより多く畜産部門にも向けてもらい、信頼を不動のものとしていきたい。


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◆平成20年度全国優良畜産経営管理技術発表会